アメリカに住んでいた頃、「僕のルーツは・・・」「私のルーツは・・・」という話をよく耳にした。2026年、今年は建国から250年の若い国、移民の国アメリカでは、ネイティブアメリカン以外は誰もが海を越えてどこかからやって来た。パパがポーランド系アメリカ人、ママがイタリア系アメリカ人の友人、おじいちゃんおばあちゃんがメキシコから移民としてやって来たなど、彼らは自分の祖先がどこからやってきたか、自分のルーツを良く知っていて語っていたことに感心したものだ。自分のルーツを訪ねて、大人になってからパパの祖国オーストラリアにしばらく住むことにした友人とも帰国後に話し、ルーツを知るって大事なのかも・・・とぼんやり考えていた。
翻って私はといえば、“純ジャパ“であります。どんなに祖先を遡っても異国の人はいないはず。それでも、歳を重ねるにつれ自分のルーツについてもっともっと知りたくなった。
そんな折、ふと見つけた自分で書いたエッセイ風の文章、いつ書いたかも何に載せたかも明らかではないけれど、自分のルーツに触れるべく文面だったので、再びそのまま載せてみたいと思う。
ピンクの線が引いたのは、母。読みながら、まんざらでもないな、という顔をしていた。それから、母に頼んでおしるこを何度か作ってもらった。これも私にとっては、母の味のひとつ。そして、去年から今年にかけては、私が何度もおしるこを作っている。小豆をコトコト炊いて白玉の時もお餅の時もあり。久しぶりに会った叔母に、お正月にやってきた友人たちに、生徒と親御さんに、お振舞い。その度に、このおしるこ椀ストーリーをする私、むしろこの話をしたいばかりにおしるこを作っているのかも・・・「このおしるこ椀は・・・」と話をする度に感じる自分の中の誇り、と安心感、これがルーツを認識するということなのかもしれない、と思ってみたりする。地に足がついている感覚、まさに根を張っている感覚か。自分のルーツなんて大したことない、と思っていたけれど、見ていなかっただけだったと気づく。誰にでもあるルーツに光を当てていくことは、自分のアイデンティティをより確かにしてくれるのではないだろうか。