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シャガールに再び、三度出会う。

画家マーク・シャガールには、多少の親しみと思い入れがある。
失礼!大画家に対しておこがましい、私の勝手な片思いではあるが・・・

初めて彼の作品に触れたのは、米・メリーウッド大学で学んでいたとき。半ば強制的にシャガールについて知ることになる。Art&Soundクラスでのペーパー(課題レポートをアメリカではこう呼ぶ)の1つ、”アーティストの人生について述べ、作品にどのように反映されているか述べよ” 確かこういった課題だったと思う。大学の図書館に飾られてあったシャガールの絵が目に留まり、彼の人生と作品について調べて書くことにした。以下、その時のペーパーを恥ずかしながらシェア。

A Fantastic Artist

Fine Arts 102:Sound and Symbol
Sister Ave Maria Foley, I.H.M.
November 11,1997

     Marc Chagall was born in a small town Lyozno, Russia in 1887.  His family was poor and his chidhood was hard. When he was studying at a public school, he saw a charcoal drawing of his classmate. He was facinated by it, and he went to the library to look for magazines and illustrated books to copy. He would draw eveyday because he hung his drawings and said “You are a real artist, aren’t you?(Greenfeld 20). ” This was the time when he decided to be an artist. He was always a dreamer since chilhood.

     In 1907, he left for the capital Saint Pertersburg. In 1910, he moved to Paris and lived there for four years. Then he moved to Berlin. He fell in love with a girl, named Bella a nd they got married. Chagall expressed his love and affection  toward Bella in
his paintings. She was always a great inspartation of his works of art. When his loved wife passed away, he was in deep depression so he was not able to paint for nine month.
    Chagall went back to Russia and stayed there until he settled in Paris in 1923. During World War Ⅱ, he moved to New York city and in 1948 to Venice, France. He was actively involved with many fields of art. He produced large scale murals, etchings, lithographs, stage designe and the finest staind glass.
    He was fantastic artist. He created childlike paintings, recalling the memory from his early years in Vitebsk, Russia and Jewish forklore. He also added elements of Expressionism, Cubism and Fauvism to  his work.
     Chagall said,”I do not understand them all・・・the theories which I make up to explain myself and those whichothers elaborate in connection with my work are nonsense.  My paintings are my reason for existance, my life and that’s all.”(Hatt 913)


何?!ここでおしまい? 再び自分で書いた文章を読み返し、シャガールの人生が書かれきれていない。途中で放り投げられた気分になる・・・まあ、仕方がない。何せあの時は次から次へとやってくるペーパーの締め切りに追われて、余裕がなかったからのだから。教授に提出して「ほっ。」さあ、次!と課題に追いかけられていたのだから。シャガールについて書いたこの文章を読み返してみて、続きが書きたくなった。再び学習。

シャガールは、1887年ロシアの小さな村で貧しい家庭に生まれた。「アーティストになる」という彼の夢は、すでに幼い頃決められていた。20歳でサンクトペテルブルクへ、3年後パリに渡る。ベラという名の女性と恋に落ち、その後結婚シャガールの作品へ常にインスピレーションを与えることになる。時は第2次世界大戦の頃、シャガールはNYに渡り、更に才能を開花させていく・・・

私はシャガールの作品を何枚も鑑賞し、関連文献を読んで書いたペーパーだから多少は心に残り、その後もシャガールの作品を見聞きすると親しみをこめて堪能していた。


2度目のシャガール(作品)との衝撃的な再会は、2010年冬、パリ・オペラ座にて。劇場の天井画を観上げて、圧倒された。「シャガールさん!!」私は呆然と立ち尽くし、言葉を失った。あの時の感動、本物が持つ魔力は今もカラダの中を駆け巡る。シャガールが、パリのゴブラン織り工房でこの天井画を制作したのが77歳の時。

 
3度目は先月岩手県立美術館で開催された『マルク・シャガール版画展』にて。宇都宮美術館コレクションによる作品群を観に行った。『わが生涯』『聖書』『ダフニスとクロエ』『オデュッセイア』の4つに分かれ、ユダヤ人であるルーツ、家族とのつながりから、後半生彼が取り組んだ聖書のメッセージを伝える作品、ギリシャ神話のなかの物語を描いた作品を鑑賞、時を忘れて作品に見惚れた。

 
『聖書』まではモノトーンのスケッチ画(版画)、ノスタルジック。細やかなタッチと光と影は、ロシアで生まれ、ユダヤ人であるシャガールのルーツともいえる心情が描き出されていたように感じた。
 
そして、『ダフニスとクロエ』から色が加わって。
色の魔術。シャガールの象徴ともいえる”シャガールブルー”や、赤、緑、黄、紫・・・
目を奪われる。
 
空に浮かぶ動物や、花や恋人・・・近視眼的にみても遠視眼的にみても、何かを語りかけてくるよう。
 
シャガールさんは画家であり、ストーリーテラー、詩人・・・そして愛の人だったのだな、と作品を前に改めて感じ入った。生涯



アーティトの作品が、自身の人生、世情を反映しているように、鑑賞する側も作品の感じ方が、その時々の自分の人生のステージ、心の有り様によって変わってくる、そういう気がする。シャガールさんとは4度も5度も出会っていくだろう。


最後にシャガールからのメッセージを。

「人生でも芸術でもわれわれが恥じらうことなく愛という言葉を口にすれば、すべては変わりうる・・・真の芸術は愛にあるのだ」


【参考文献】
・シャガール わが回想  マークシャガール著 三輪福松・村上陽通訳 
朝日新聞社 1985年
・シャガール 色彩の詩人  ダニエル・マルシェッソー著 高階 秀爾監修
田辺希久子+村上尚子翻訳 創元社 1999年

・週間 世界の美術館 シャガール美術館  講談社 2000年    

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