山本さんは、遠洋漁業の漁師さんだった。遠くの海を航海していたときのこと、それがいかに孤独で、途方もないものだったこと、だから楽しみを見つけてきたこと。”赤道まつり”をしたときのことを茶目っ気たっぷりに話してくれた。
山本さんは、私たちが通っていた被災地の避難所のリーダーさん。行くたびに、そこに住む被災者の方々への連絡事項や、ボランティアの方々の紹介など・・・体育館に響き渡る声で話していた。お顔は存じ上げていた。リーダーさんなんだな、って思っていた。
ご挨拶したのは、避難所通いを続けて3,4回目の時だっただろうか。震災後、同じ県に住む私たちが何もせずにはいられない!と、中学生数名と私はその避難所に向かった。通ううちに、そこで避難生活をしている方々と顔見知りになり、リーダーさんに身元を伝えご挨拶しようと、少しかしこまって名刺を渡してご挨拶。「来てくれてありがとう。私たちの避難所は、来てくれる人達誰でも歓迎ですよ。」と山本さん。
ほっとした。
その後、ご縁があり他の場所で偶然お会いした。山本さんは漁業共同組合の役員として、私は所属しているロータリークラブの会員として。それぞれの立場で。「俺、店始めようと思って。場所も、もう決めた!」明るい笑顔で山本さんは伝えてくれた。「お店に行きますからね!」と、その時はお土産にその日の朝獲れた鮭をお土産に持たせてくれた。心持の大きな方。
1ヵ月後の夏のある日、私たちは再び避難所があった地域を訪ねた。坂道を登って幼稚園の横を通って、信号を曲がったところにあるお店・・・案内役は、小学3年生の翔太。避難所では、山本さんと同じ一角に住んでいた。
あったあった!サンライズ丸栄!
7月30日、山本さんのお店はオープンした。開店の日、320人の客がやって来たという。サンライズ丸栄。サンライズのサンはお客さんのサン、ライズ=来ズ、来るに英語の複数形のS。お客さんが沢山来る、の願いを込めて。
品揃え豊富な山本さんのお店で、私もお買い物。すいかと、切干大根と、みょうがと。帰り際、「ちょっと待って。」とウニを持たせてくれた。「俺、ウニ獲るから。」って。定置網関連の、漁業共同組合の役員もされているらしい。もっと聞かせてください、海のお話。
山本さんがこう言っていた。「避難所で暮らさなかったら、この店開いてなかったなー」と。その意味が少しだけわかる気がした。大変な中にあって、人のためになる何かを考えること、夢を持つことがどれだけチカラをくれることか。山本さんの顔は、希望で輝いていた。
希望を持つこと、夢を持つこと・・・
最近リリースされたばかりの、山下達郎のこの歌『希望という光』があまりに山下さんにぴったりで、歌詞をかみしめながら震災の被害に遭われた方々を想う。
底知れぬ闇の中から
かすかな光のきざし
探し続ける姿は
勇気という名の船
どうぞ忘れないで
移ろう時代(とき)の中から
あなたを照らし続ける
希望という名の光を
あなたを照らす光を
希望という名の光を
A Ray of Hope For You
A Ray of Hope For Me
A Ray of Hope for Life
For everyone・・・
山下達郎 『希望という光』より
英語さんぽ道